ゴローズが人気となった理由のひとつに、アイテムひとつひとつの”品質の高さ”があります。
もちろん使用している素材もシルバー、金、サドルレザーなど一級品ばかりですが、今回は素材に関してではなく、”アイテムの精巧さ”といった点に着眼します。
高級素材を使用しているブランドはこの世にごまんとありますが、その中でもゴローズが選ばれる圧倒的な理由は、職人としての”技量”です。
となれば創立者である高橋五郎氏のお話を少しご紹介しなくてはなりませんね。
高橋五郎氏のモノ作りに関するあれこれをご紹介したいと思います!
幼い頃からモノを作るのがとにかく好きだった
高橋五郎氏はとにかく幼い頃から自分でイチからモノを作るのが大好きだったといいます。
鉄くずや空き瓶などを拾って買い取ってもらい、その資金で材料を購入して自分で何かをコツコツ作る。
普通の少年であれば、仮に鉄くずを拾って資金を作っても、完成された玩具を買いますが、高橋五郎氏はモノ作りのための材料を買っちゃうようなそんな少年。
高橋五郎氏のモノ作りに対する情熱は幼少時代にまでさかのぼります。
インディアンも大好きだった
また、その頃から同時にインディアンというのにも興味を惹かれます。
戦争の尾を引いた時代だったことからか、当時はアメリカ文化であるカウボーイごっこという遊びが子供たちの間で流行していました。
カウボーイとインディアンはペアのような関係で、アメリカの西部劇などではいつもインディアンがやられてしまいます。
すなわち、子供にとってはカウボーイこそ正義で、インディアンは悪役。
ですが、高橋五郎氏はそんな適役であるインディアンを進んで演じるほどインディアンが大好きだった少年でした。
”好きこそものの上手なれ”
まさにこの言葉にふさわしく、当時からモノ作りとインディアンが大好きだった高橋五郎氏だからこそインディアンジュエリーのパイオニアと呼ばれる存在になったのでしょう。
高橋五郎氏とアメリカ駐留兵
その後中学生になった高橋五郎氏は臨海学校という学校行事中に、寝泊りする寮の近くでトントンという金づちで突いたような音が聞きました。
好奇心旺盛な高橋五郎氏が音のする方に向かうと、古びた小屋でアメリカ駐留兵がレザークラフトでモノ作りをしていたのを目撃します。
人懐っこい少年だった高橋五郎氏は、言葉も通じないそのアメリカ駐留兵にレザークラフトを見よう見まねで習います。
あっという間に面白さに引き込まれた高橋少年は、臨海学校の期間中毎日そこに通い、やがてアメリカ駐留兵が母国アメリカへ帰国する際には、当時まだ14歳だった少年に自分がレザークラフトで使用する道具を7つプレゼントしたそうです。
この時自分の道具をあげたアメリカ兵は、モノ作りが好きな幼い少年に何を感じていたのでしょうか。
商売を始める
その後もレザークラフトに没頭した高橋五郎氏は16歳という若さで商売を始めます。
先ほどご紹介したアメリカ兵から譲りうけた道具を使い、ウエスタンの花柄の彫刻が施された1本の革ベルトを生み出します。
出来上がったベルトを東京上野アメ横にある中田商店というお店に持ち込むと、店主である中田忠夫氏は原価180円ほどの革ベルトをその場で1本900円で買い取り、尚且つ100本の注文をいれたそうです。
当時から腕の良い職人だった高橋五郎氏はもちろんですが、それよりも若干16歳の少年が持ち込むベルトを真剣に目利きし、才能をいち早く見抜いた中田忠夫氏にも感銘を受けます。
青山のゴローさん
高橋五郎氏はやがて東京青山のアパートに工房を立ち上げ、そこで生活するようになります。
とにかく当時からなんでも自分で作ってしまう人で、商品となるバッグやベルトなどはもちろん、同じく鹿革を使った洋服や、工房内で使うテーブルや椅子などの家具まで作っていたそうです。
またある時は、家具屋さんの前に捨ててあった廃棄用のソファを持ち帰り、壊れていた部分を修理し、革張りを施し素晴らしいソファを作り上げました。
今から50年ほど前に作り上げたソファが今も尚、原宿のゴローズに置かれているのはあまり知られていないお話。
銀細工に出会う
冒頭でもご紹介したように、モノ作りに対する愛はもちろんですが、もうひとつ好きなのがインディアンと呼ばれるネイティブアメリカン文化です。
当時からアメリカ文化の好きだった高橋五郎氏は初めて訪れたニューヨークでこれまた運命的な出会いを果たします。
すれ違い様に「そのバッグはどこで手に入れたんだ?」と唐突に訪ねてきた人物こそ、シルバー職人のJED(ジェッド)という男でした。
自分で作ったバッグだということを伝えるとジェッドは「自分もモノ作りをしているから興味があるなら見に来ないか?」と誘ってきたそうです。
ジェッドの工房に招かれた高橋五郎氏はそこで初めて銀細工を教わります。
高橋五郎氏とフェザー
その後もジェッドに銀細工の技術を教わり、自分でシルバー製品を作るようになった高橋五郎氏はニューメキシコのとあるショップで本物の白頭鷲の羽根を見つけます。
インディアンが好きだった高橋五郎氏はすぐに購入を求めましたが、神聖な意味を持つ白頭鷲の羽根を原住民は売ってくれませんでした。
ですが、金銭的なやりとりではなく、高橋五郎氏が身に着けていたリングとなら交換しても良いと言ってくれたそうで、物々交換で憧れの羽根を手にした高橋五郎氏はそんな神聖な羽根をモチーフとしたシルバージュエリーを作り始めます。
それこそが、今となっては原宿に長蛇の列を生むゴローズのフェザーアイテムとなるのです。
現代にも精通するモノ作り
ゴローズのある原宿という街は、日本だけでなく世界から見てもファッションのトレンドと言われる街です。
あらゆる個性が容認され、あらゆるトレンドが生まれる。
新たなトレンドが生まれれば、当然去り行くトレンドもあります。
そんな入れ替わりの激しい原宿という街で、オープン当初から今日まで、長蛇の列を生み続けるゴローズの魅力は、高橋五郎氏のモノ作りに対する熱意そのものなのではないでしょうか。